ブログ:これって”認知の歪み”?~子育て編〜
このブログでは感じたことを気ままに書いていきます。
これって「認知の歪み」ではないかと思った話があったので書き留めておきます。
ある友人のお話。
少し前に2人目の子供を出産しました。可愛くて仕方がないと言っています。
しかし、数年前に一人目を出産した後は、
「私、母親に向いていない〜、早く仕事復帰したい」と言っていました。
「なぜ?」と聞くと、
- 夜泣きで、夜に起こされるとイライラする
- 母乳が出ない
- ミルクをガブガブ飲んでる子供を見て、母親の自分が否定されているような感じ
とのこと。
お母さんになったのに、母乳があまり出なかったり、起こされてイライラするのは、
自分が母親に向いていない人物だから、と考えたようです。
そして二人目を出産した彼女は、「母親業も楽しい。子供の成長を見守りたい。」と、
それは何よりなのですが、母親に向いているかもしれないと思えたそうです。
理由を聞くと
- 夜起こされても平気
- 何より母乳が出る
- 赤ちゃんがニコニコしてくれる
とのことでした。
ここで振り返ると、一人目を出産した彼女の「母親に向いていない」という発言には論理の飛躍があります。
- 夜泣きで、夜に起こされるとイライラするので母親に向いていない
→寝てる時に起こされると誰でもイライラしますよね。普通のことです。
きっと、母親は夜泣きでもにこやかに対応して愛情を注ぐものだ・イライラしてはいけないという、母親としての基準があったのではと思います。あまりにも高い基準は自分を追い込み、母親というのは
〇〇すべきという思考に陥って自分を追い込んでいます。
- 母乳が出ないので母親に向いていない
→母乳が出なくても、母親としてオムツを替えたり、抱っこしたり、話しかけたり、洗濯をしたり、他に立派に子育てをしているのです。母乳が出ない代わりに、ミルクを与えるのであれば、母親以外が粉ミルクを溶かして赤ちゃんに与えることができ、父親や祖父母など母親以外も授乳に関わることができます。
母乳が出ないという
ネガティブ要素を必要以上に拡大解釈して、ポジティブな面を過小評価しています。
また、この考えは「母親は母乳が出るもの」という思いから、「母乳が出ない自分は母親失格だ」として、たった一つの出来事から自分に母親に向かないという
レッテルを貼っているのです。
- ミルクをガブガブ飲んでいる子供を見ると悲しくなる
→本来は、ミルクを飲んでいるのは良いことではないでしょうか?子供からしても、母乳が出ないとなるとミルクを飲む他ありません。「ミルクをよく飲むよい子」なはずが、母乳が出ない自分は悪い母親だ、という
ネガティブなフィルターをかけて、「母乳が出ない自分を否定されている」と物事を客観的に捉えずネガティブに考えています。
少し冷静になって、客観的に考えられればおかしなことに気づけたかもしれません。
認知の歪みは自分の考え方の癖によって物事の解釈や捉え方に偏りが出て、論理的に解釈することが難しく、客観性や柔軟性が欠いた捉え方をする状態を言います。
日常生活では意識して振り返らなければ気づけないことも多く、色々なところで多かれ少なかれ認知の歪みが出ているのではないでしょうか。
特に上記の出産や子育てをするときは、他人に話しずらかったり、そもそも話せる相手が少ないこともあるのではないでしょうか?
そんなときは、専門家でもいいので、誰かに話すと自分の認知の歪みに気づいて楽になるかもしれませんね。
以上、認知の歪みを感じた出来事でした。